
オランダ、東部ヘルダーラント州の町Huissen。悠然と流れるライン川の岸辺に寄り添うように佇み、約17,000の人が暮らすこの地。
この地の農業史は、一編の叙事詩だ。タバコ栽培から始まり、果樹園を経て施設園芸へと変遷する過程で、地理的条件、社会的背景、技術革新が絶妙に絡み合い、独自の発展を遂げてきた。
過去の記憶を未来へと運ぶ使者のように、Huissenの歴史を静かに語り継ぐブドウ園「Mea Vota」へと足を踏み入れた。その名が意味する「私の願い」は、土と人の永遠の対話を映す鏡のようだ。
生きた歴史:施設ブドウMea Vota
Mea Votaを訪問した。農園は 1920 年から存在し、80 haの広さがあり、ミューセン家が所有していた。その後、それはトンク家を含む様々な勢力に分割され、時代が進む中で、徐々に失われる歴史を生き生きと伝えるために、「Mea Vota(私の願い)」財団が設立された。農機具の歴史などを示したミュージアムには年間3,000人ほどが訪れる。

Mea Votaは25,000kgの生食用ぶどう、年間で200本ほどのワインを製造し、地域内で直接販売している。白ワインには、ホワイト エミール、マスカット アレクサンドリア、フェリシア、フランシスカの 4 種類のブドウ品種が使用されており、最後の 2 つは白カビに耐性がある。

1920年代、40年代と歴代のハウス内でいまなお栽培を行っている。リノベーションした1928年のハウスには、大きなトンネルがある。ここで炭を燃やしてハウスを温めたのが当初の施設園芸だったという。

そこから当時、隣のハウスへ熱供給を行っていた。

一つのハウスに5、6品種栽培している。4年に1回ほど植え替えるが、30年になる木もあるという。ガラス温室の壁面に沿わせる栽培方法は背の高いオランダ人に適した手法だと思う。「背が高くない人は高い靴を履んだ」と農園主は微笑みながら教えてくれた。繁忙期には25名ほどが働く。横方向のスペースをいかに有効活用するかが重要で、中央部分は必ずしも使わなくてもよいという考え方だ。

ここには野菜類や果樹類のハウスもあり、ボランティアが育てて、ボランティアが収穫して持っていく施設もある。多くがこどもの教育用である。

Huissenの農業史
ここでの学びをもとに、資料も読みながらHuissenの農業の歴史をまとめてみよう。最初にオランダでタバコが栽培されたのは1610年頃で、1660年にはHuissenでの栽培記録がある。タバコ取引に税金を課すために、タバコの荷馬車や重量を測ることが義務付けられ、同地域には計量所もあった。

しかし1870 年以降、オランダ領東インドからの安価なタバコが輸入されたことで、タバコ栽培は急速に落ち込んだがそれまでは、ジャガイモとタバコの産地であった。
同時期に特に都市部からの果物の需要が増加したこと、路面電車の導入などにより輸送が大幅に容易になったことで、Huissenはリンゴ、ナシ、サクランボ、プラムなどの果樹や果菜類の温室園芸に特化していき、第二次世界大戦前の数年間はブドウの産地となり、300 棟のブドウ温室があった。
この地域で施設園芸が一気に広まったのにはいくつかの理由がある。
融資の容易さ

Huissenに定住したピート・エバースがガラス容器内での栽培の最初の形態の1つを持ち帰ったが、これらは非常に高価であり、1914年まで建設は限られていた。しかし、第一次世界大戦後、農家が簡単に資金を借りることができるようになると温室が一気に増え、その多くが主にブドウの栽培に使用された。
レンガ産業の失業者の受け皿
河川沿いのこの町はレンガ工場が盛んだったが、工場の規模拡大と集約で工場数が減り、仕事がなくなった1,500人くらいの受け皿として施設園芸が役割を果たした。当時、急速に成長する都市に農産物を販売することができ、各栽培者が独自の事業を持つことができたため、労働者に十分な収入がもたらされ、階級闘争や背教が避けられた。
オークションと学校
急速に腐敗しやすいサクランボやプラム(リンゴやナシは腐敗しにくい)は、特に急速な販売の恩恵を受けた。これには、Huissenにもあったオークションが重要な役割を果たした。農業および園芸学校もあり、最初は夜間コースとして、後に昼間教育として果樹栽培の教育が行われ、農家の息子たちに必要な知識が提供された。
栄光に陰りと新たな光

第二次世界大戦後、暖房付きの温室が標準になったが、これを経済的に実現可能にするには、倉庫と呼ばれる大きな温室が必要であった。さらに施設園芸での果樹園での作業は労働集約的であり、したがって費用がかかった。 1970 年代以降の伐採奨励金の影響もあり、特徴的な果樹園が次々と姿を消し、草地や牧草地がその場所を占めた。
100軒で担っていた農地を現在は10軒でみていると集約が進んでいることを示唆する。今は、果菜類とポットフラワーが盛ん、切花はアマリリスが盛んだという。
近隣のリンゲワールトにある NEXTgarden という集積地帯には、735ヘクタールの施設園芸開発エリアである。2030 年までに完全にエネルギー中立になることで、エネルギー源の組み合わせにより、暖房ネットワークを構築しており、エリア内のビジネスエリアと住宅エリアの両方に熱が供給され、NEXTgarden は地域の持続可能なエネルギーハブとなることが目標である。
35.7haの温室と露路(トンネル)18.8haで8種類の異なる品種のイチゴを年間800万キロ生産し、300名以上の従業員ともに国内外のスーパーマーケットへの直接販売しているロイヤルベリーという会社もある。大麻の施設園芸栽培を行っているところも数軒ある。
現在、施設園芸では「クルクマ」に可能性があると言われているが、一時的な流行で経済的にもサステナブルではないのではないかという懸念も聞かれた。Huissenの農業は時代とともに形を変え続け、しかしその歴史のカケラを残し続けてきた。400年以上の農業の歴史を持つこの小さな町からは、これからもどんな新たな農業の形が生み出されていくか楽しみである。